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舘野泉さんの「左手の文庫」
2010.10.20
ピアニストの舘野泉さんにとって、今年は、演奏生活50周年という記念すべき年です。私は40年ほど前から舘野さんのピアノを聴いています。学生の頃、シベリウスをはじめとするフィンランドのピアノ曲の美しさに魅了されて、憧れの地に留学したのです。フィンランドに行くきっかけを作ってくださった舘野さんのピアノに感謝し、演奏生活50周年を心からお祝いしたいと思います。
舘野さんは、2004年、2年半の闘病生活を経て、左手だけで弾くピアニストとして舞台に復帰しました。そして、左手のための作品が質・量ともに不足していることから、左手のための委嘱作品を充実させることを第1の目的として、「左手の文庫」(募金)を設立しました。「左手の文庫」の助成により、これまでいくつもの素晴らしい左手作品が生まれています。
私はフィンランドで「ふしぎなボタン」を初めて手にしたとき、この本は舘野さんにぴったりだと思いました。ピアニストのお話ではありませんが、ページをめくっていくと、さまざまなことが心によみがえってくるのです。
自然に癒され、生きる力を得る名人・・・・・・
次から次へと、きれいなボタンを作り続ける名人・・・・・・
いつもステキな音楽を聞かせてくださるピアノの名人、舘野さんの姿が重なります。
とりわけ、きれいなボタンをなくして悲しみにくれる王女を励ます王様の言葉は、舘野さんの人生と重ね合わせると、心に深く染入ります。
「生きているうちには、何かを失うことがあるかもしれないが、必ず、また、何か新しい大切なものが手に入るものだよ」
この本の日本語版を「舘野泉さんに献呈しましょう」と、作家と画家に提案したところ、二人とも大賛成でした。ミルヤ・オルヴォラは、「舘野泉さんは、私の憧れのピアニストよ」と言っていました。ですから、舘野さんへの献呈は、作家・画家・訳者三人の気持ちです。
我が家では、こんなことがありました。ピアノを習っている息子が中学生になったので、舘野さんのリサイタルに誘ったのです。彼も舘野さんの素晴らしい左手の演奏に感激し、会場で売っていた左手のCDや楽譜を買って帰りました。
それから2ヵ月後のことです。息子が左手で右腕をかばいながら帰宅しました。体育の時間にドッジボールで右手を痛めたというのです。整形外科でレントゲンを撮ると、右手中指の骨折と診断されました。どのくらい経ったらピアノが弾けるようになるのか、お医者さんにもわかりません。ちょうど、ピアノの発表会に弾く曲を選ぼうとしていた矢先です。中学受験が終わり、今年はどんな大曲に挑戦しようかと夢を膨らませていたというのに・・・・・・。
でも、彼は幸運でした。右手を怪我したとき、ピアノの上にはすでに、左手の楽譜が置いてあったのです。右手が完治するまで、左手の曲を弾こうということになりました。
しかし・・・・・・。
左手の楽譜は、舘野さんに献呈された最先端の音楽。片手で弾ける簡単な曲ということではありません。最初、楽譜を見てもちんぷんかんぷんで、とても中学1年生の手に負えるものではありませんでした。
それでも、なんとか、ピアノの先生の熱心なご指導の下、林光さん作曲の「花の図鑑・前奏曲集」から始めました。すると、左手の曲の難しさ、新しさがかえって少年の心をつかんだのか、左手の曲に夢中になり、右手が治っても、ずっと左手の曲に取り組んでいました。
発表会には、吉松隆さん作曲の「タピオラ幻景」から「森のジーグ」を選び、学校のコンサートでもこの曲を弾きました。「タピオラ幻景」は、フィンランドの美しい自然・・・光、森、水、鳥、風が織り成す透明にしてダイナミックな傑作です。
左手の曲がなかったら、息子は右手の骨折でピアノを断念していたかもしれません。それを考えると、左手の楽譜のありがたさが身に沁みます。
舘野さんに新しい左手の曲をどんどん弾いていただくためにも、また、左手の曲を必要とするすべての方のためにも、猫の言葉社は「左手の文庫」を応援したいと思います。そこで、「ふしぎなボタン」の収益の一部を「左手の文庫」に寄付することにしました。「左手の文庫」の存在を多くの方に知っていただき、支援の輪がさらに大きく広がることを願うばかりです。(稲垣美晴・記)
舘野泉公式HP:http://www.izumi-tateno.com
舘野泉ピアノ・リサイタル2010
10月22日・札幌コンサートホール
10月26日・福岡銀行本店ホール
11月10日・東京オペラシティコンサートホール
2011年2月6日・大阪・いずみホール
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