ピックアップ

はじめに戻る

「地平線のかなたまで」

2011.9.6


ヘルヤの作品「ピョンピョン学院」30×100×90cm  撮影 Indav Oy

ヘルヤの作品「ピョンピョン学院」30×100×90cm
撮影 Indav Oy

ヘルヤの作品「地平線」25×38×55cm  撮影 Indav Oy

ヘルヤの作品「地平線」25×38×55cm
撮影 Indav Oy

ヘルヤのデザイン ARABIA

ヘルヤのデザイン ARABIA

ヘルヤのデザイン ARABIA

ヘルヤのデザイン ARABIA

絵本「地平線のかなたまで」は、国際障害者年の1981年にフィンランドのOTAVA社から出版されました。この年の児童週間のアーティストに選ばれたヘルヤ・リウッコ=スンドストロムは、後ろ足に障害のある子うさぎ君のお話を創作したのです。ピョンピョン学院に入学しても跳べるようにならなかった子うさぎ君は、森で孤独に暮らしはじめます。でも、自分の前足が強いことに気づき、地平線を見ることに憧れていた亀を、干し草の小屋の上まで引っ張り上げ、亀の夢をかなえてあげます。左の立体像が、このお話をテーマに制作した「ピョンピョン学院」と「地平線」です。

1981年、ヘルシンキのギャラリー・ブロンダで「地平線のかなたまで」の展覧会が行われました。立体像や本の挿絵に使われた陶板のほかに、視覚障害者のために点字を施した陶板も展示されました。陶板はどれも浮き彫りになっているので、触れば、うさぎや木など、物の形が分かります。釉薬によって、ツルツルの所とザラザラの所を作り、川や水が区別できるようにしました。陶板に施された点字でストーリーも理解できます。点字については、大人になってから視力を失ったピルッコ・カッリオの協力を得て、粘土でどう表現するか、長い間研究を重ねたのです。

この本と展覧会は、「私たちみんなが必要とされています」というテーマが共感を呼び、記録的な入場者数となりました。そして、フィンランド政府児童文化賞を受賞しました。その後、「地平線のかなたまで」は、日本語とハンガリー語に翻訳され、展覧会もドュッセルドルフ、東京、ニューヨーク、ブリストル、ブダペストと、10年近く外国を巡回しました。1993年には、ヘルヤのセラミック・アーティスト30周年を祝い、「地平線のかなたまで」がヘルシンキのアモス・アンダーソン美術館に再び展示されました。

来年、ヘルヤは50周年を迎えますが、多くの作品の中でも、「地平線のかなたまで」は、とりわけ大事な作品と言えるでしょう。この他に「なかなおり」も、うさぎたちが出てくるお話です。ヘルシンキの街中でも、公園などでうさぎを見かけることがありますから、フィンランド人にとって、うさぎは身近な存在。50周年を記念する展覧会(20129月オープン)のために、現在、3冊目のうさぎの本を制作中だそうです。次回作の主人公は、お年寄りのうさぎだとか。高齢化社会に送るヘルヤのエールが楽しみです。(稲垣美晴・記)[文・画像(C)猫の言葉社、無断転載を禁止します。]

このページの先頭へ