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絵本作家オイリ・タンニネン
2009.4.19
オイリ・タンニネンは、1933年にソルタヴァラ(当時はフィンランド領でしたが、現在ロシア領)で生まれました。美術学校で陶芸を学んだ後、アラビア社で陶器のデザイナーとして、また、職業訓練学校で陶芸、絵付け、染色の教師として、仕事をしていました。ところが、ある日突然、アーティストとしてのキャリアを断念しなければならなくなったのです。それは1958年のことでした。
夫アールネ・タンニネンが、日刊紙ウーシ・スオミの特派員としてモスクワに赴任することになったのです。編集長からモスクワへ行くかどうするかと聞かれたとき、アールネ・タンニネンは15分以内に返事をしなければなりませんでした。当時タンニネン家には電話がなかったので、妻オイリの意見を聞くこともできません。
アールネ・タンニネンは、その仕事を承諾しました。そして、彼は、フィンランド人としてヤルノ・ペンナネンに次いで二人目のモスクワ駐在員になったのです。オイリは、生後4ヶ月の娘マイヤと共に同行しました。
モスクワには1958~1963年まで滞在しました。そのとき、娘のために絵本を作り、それをフィンランドの出版社に送ったのが、絵本作家としてデビューするきっかけになったのです。
モスクワから帰り、1年半はフィンランドで暮らしましたが、次はロンドンに赴任(1965~1969)することになりました。ロンドンには、オイリのアトリエがありました。そこは、以前、肉の倉庫(おそらく、羊や豚や七面鳥などをつるしていた所)として使われていたような小さな物置で、机と椅子を置くのがやっとだったそうです。そんな環境でしたが、オイリは、ロンドン滞在が実り多い時期だった理由として、ハムステッド緑地公園などの木の存在を挙げています。
オイリの作品の多くは、紙を切って貼るコラージュですが、もう一つ「指紋アート」(!)もあります。指にインクをつけて紙に押し付けていく方法。この技法を使ったのが、「ロボットのロムルスくん」(講談社)です。この技法で、イタリアの展覧会に出す絵を描いて家じゅうに広げていた頃、タンニネン家に泥棒が入りました。捜査に来た刑事達は、犯人の指紋を採取しながら、オイリの「指紋アート」に驚き、とても興味深く見ていたそうです!
紙を細かく切って貼っていくコラージュの技法について、紙を切るより線で描いたほうが簡単なのでは、と言われることもありましたが、オイリはこう答えています。「私自身、どうして紙を切っているか分からないけど、とっても楽しいのよ。おそらく、ものすごくいいセラピー(療法)になっているんだと思うわ」
1970年、アールネ・タンニネンは、ウーシ・スオミ紙からYLE放送に職を変わります。そして、1981年から定年を迎える1994年まで、ワシントンに駐在することになりました。レポーターとして最後に言う「こちらワシントンのアールネ・タンニネンでした」というフレーズを、フィンランドで知らない人はいません。
こうして、タンニネン一家は24年間外国暮らしをしました。「外国生活のおかげで、私の人生も仕事も豊かになった」と、オイリは語ります。けれども、フィンランドに里帰りをしたときはやはり格別でした。「ヘルシンキに戻ると、二晩は静寂に耳を傾けたわ」
オイリ・タンニネンの作品は大きく2つに分かれます。現実生活を踏まえたものと全くの想像によるもの。モスクワから帰って住まいを見つけるのが大変だった住宅難の時代が反映されているのが「ボタンくんとスナップくん」(講談社)です。「ヌンヌ」は、それとは真逆の楽しい空想の世界。ヌンヌと同じくらいの年齢の娘達と話しながら、紙を切っていたオイリ・タンニネンの姿が目に浮かぶようです。(稲垣美晴・記)
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