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「トントゥ」って、なーに!?

2010年05月03日
(C) Mauri Kunnas

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(C) Mauri Kunnas

(C) Mauri Kunnas

(C) Mauri Kunnas

トントゥは、たいてい小さな人間の姿に描かれますが、人間ではありません。もちろん、動物でもありません。地の精、建物の守り神なのです。

トントゥという言葉はフィンランド語です。tonttuと綴ります。これは、スウェーデン語のtomte(トムテ)が語源だそうです。スウェーデン文学では、小人の妖精をトムテと呼んでいます。tomteには、元来、家のある場所、敷地という意味がありました。スウェーデン語のtomteから、フィンランド語のtontti(敷地)とtonttu(地の精・家の守り神)という言葉ができたのです。

昔は、「敷地」に家を建てるとき、木で十字を作ると守り神が生まれると信じられていました。あるいは、その家を建てた人や最初に住んだ人、または、炉を作った人や炉に火をつけた人が、その家の守り神になるという言い伝えもありました。「炉」や「火」という言葉が出てきましたが、トントゥがかぶっている帽子の赤は、「火」の色と関係があると言われています。

家の守り神には、他の説もあります。その家で最初に死んだ人がその家の守り神になるというのです。男が死ねば男の守り神、女が死ねば女の守り神になり、男の守り神がいれば男の仕事がうまくいき、女の守り神がいれば女の仕事がうまくいくという言い伝えもあります。

昔の人たちは、家の守り神トントゥにおかゆをあげて大切にすると、その家に良い事があり、トントゥに意地悪をすると、その家に災いが起こると信じていました。ですから、トントゥにまつわる話は各地に伝わっています。

「フィンランドの小人たち トントゥ」では、マウリ・クンナスが、トントゥ伝説をつぶさに調べて、時代考証した絵を描いています。昔は、馬小屋、水車小屋、サウナ小屋のような建物はもちろんのこと、お皿やスプーンから桶や家具にいたるまで何もかも木でできていました。トントゥの足元を見ると、シラカバの樹皮で編んだ靴を履いています。

電気のない時代ですから、木片を燃やして明り取りにしていました。パンのまん中に穴を開けて天井の棒にさして保存するパン作りの様子もわかります。細部にいたるまで正確に描かれているので、フィンランドのトントゥ全盛時代(!?)の臨場感がたっぷり味わえることでしょう。

「フィンランドの小人たち トントゥ」には、トントゥの説明に続いて、どんなお話が入っているのか、目次をご紹介しましょう。さまざまなタイプのトントゥのお話をお楽しみください。(稲垣美晴・記)

*音楽のすきなトントゥ
*天じょううらのトントゥ
*かまどの上のトントゥ
*おこりっぽいトントゥばあさん
*サウナ小屋のトントゥ
*こくもつトントゥのけんか
*こくもつトントゥとぼたん
*牛小屋トントウのよそゆきドレス
*馬小屋トントゥとまめ
*こくもつ小屋のトントゥ
*クマとおどったトントウ
*コクのこくもつ小屋は粉みじん
*水車小屋のトントゥ
*トントゥのクリスマス

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「フィンランドの小人たち トントゥ」誕生から復刊まで

2010年04月06日
(新刊日本語版)猫の言葉社 2010

(新装改訂版)猫の言葉社 2010

OTAVA 1979 初版原書 21.5×26cm

OTAVA 1979 初版原書 21.5×26cm

文化出版局 1982

文化出版局 1982

OTAVA  現在購入可能なフィンランド語版

OTAVA 現在購入可能なフィンランド語版

OTAVA  2009  30周年を記念して刊行されたマウリ・クンナスの伝記

OTAVA 2009 30周年を記念して刊行されたマウリ・クンナスの伝記

「フィンランドの小人たち トントゥ」が、フィンランドで刊行されたのは1979年です。この本で、マウリ・クンナスは絵本作家としてデビューしました。

そもそもどうしてトントゥに興味を持ったかというと・・・・・・。
ある時、マウリが、妻タルヤの父親と話をしていて、クリスマスのトントゥって、いったいなんだろう、どんな歴史があるのだろう、ということになりました。タルヤの母親は図書館の司書でしたから、すぐにトントゥの研究書(マルッティ・ハーヴィオ著)等を数冊借りてマウリに渡しました。

すぐにマウリは、トントゥで子供の本ができると確信します。しかし、トントゥの伝説は田舎に伝わるものが多く、町で育ったマウリには、わからないことがたくさんありました。そこで、本を調べ、田舎で暮らしたことのある父親の助けを借り、博物館に通って、トントゥの本の構想を練りました。

そして、トントゥの絵を携え、出版社OTAVAの児童書編集長を訪ねます。すぐに「本にしましょう」とは言われませんでしたが、絵を預けてきました。すると、ある日、テレビの子供番組のプロデューサーから電話があったのです。
「OTAVA社で、君のトントゥの絵を見たんだ。あれで、トントゥ・シリーズの番組を作りたいのだが・・・・・・」

まさに「神様からの贈り物」でした。テレビ用に100枚以上の絵が必要になります。マウリは、来る日も来る日もトントゥの絵を描き、タルヤが彩色の手伝いをしました。こうして、マウリのトントゥは、1978年の秋にテレビで放映されたのです。たくさんの子供たちがテレビのトントゥ・シリーズに親しんでいたので、翌1979年に本が出ると、もちろん大ヒットになりました。

書評でも歓迎されました。
「ここに登場するトントゥたちは、あまりにも生き生きと描かれているので、もしかしたら、かつて本当に存在し、これからもまだどこかにいるかもしれない、という気がしてくる」(ヘルシンギン・サノマト紙)
「マウリ・クンナスは絵の大家だが、文章においてもなんら遜色がない」(トゥルン・サノマト紙)

20年以上前の話になりますが、「僕の本が売れるのは、フィンランド中のトントゥが喜んで応援してくれるからだと思う」と、マウリが真顔で(!?)言っていたのを思い出します。

マウリ・クンナスの絵本は多くの言語に翻訳されて、現在約30カ国で読まれています。1982年に日本で刊行された「フィンランドのこびとたち トントゥ」(稲垣美晴訳・文化出版局)は、なんと、クンナスの絵本翻訳第1号だったのです。フィンランドの文化を正確に楽しく伝えるこの本は、日本でも多くの子供たちに愛されました。

最近も読者の方からお話をうかがう機会がありました。
「子供の頃、うちにもトントゥがいるかしらと思って、おかゆを階段に置いておいたことがあります」
「『むかしむかし、おばあさんのおじいさんのおかあさんが、まだ、ぽっちゃりほっぺの小さな女の子だったころ、どこの家にも守り神が住んでいました』この本の出だしは、娘たちが小さかった頃に何度も読み聞かせをしたので、20年たった今でもよく覚えています。・・・・・・クンナスの絵本を3代にわたって読むのが夢です」

多くの読者の皆様からご声援を頂戴し、「フィンランドの小人たち トントゥ」を復刊することができました。感無量です。フィンランドのトントゥたちが、読者の皆様のご家庭にも、たくさんの幸せをもたらしてくれますように! (稲垣美晴・記)

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ぐっすりメーメさんの歴史

2009年11月01日
ぐっすりメーメさん (C)Mauri Kunnas

ぐっすりメーメさん (C)Mauri Kunnas

偕成社 1985

偕成社 1985

「やったね! 大スクープ!!」の付録 偕成社 1991

「やったね! 大スクープ!!」の付録 偕成社 1991

「大時計のおばけたち」の裏表紙 偕成社 1997

「大時計のおばけたち」の裏表紙 偕成社 1997


人形 Martinex Oy (C) Doghill Productions Oy

人形 Martinex Oy (C) Doghill Productions Oy

猫の言葉社 2009

猫の言葉社 2009

ぐっすりメーメさんが、マウリ・クンナスの本に初めて登場したのは、「ナイトブック--夜、おきていたら…?」(1985・偕成社・稲垣美晴訳)でした。表紙を見ると、小さいながらも中央に、ぐっすりメーメさんがいます。これは、朝刊を配る新聞配達に「やあ、グッスリ=メーメさん、きれいな月ですね。」と、挨拶される場面です。

「ナイトブック」では、「おやおや グッスリ=メーメさんは、ねむりながら 町へでてきました。」と紹介され、町の中をあちこち散歩するのですが、さすがに、飛行場の滑走路をぶらぶらしたときには、係員がびっくりして、捕まえようとしました。

そして、とうとう朝になり、メーメさんは自分のベッドで目を覚まします。
「どうして、ぼくの足は よごれているのかな?」
セリフは、これだけです。このときの名前は、グッスリ=メーメさんでした。

新聞社の仕事を詳しく紹介する「やったね! 大スクープ!!--新聞が出来るまで」(1991・偕成社・稲垣美晴訳)に登場したときは、ハッカライネンという名前(本名?)を使っています。何しろビーグル新聞編集局の文化部長ですから、いでたちもスーツ姿。映画、演劇、オペラ等を鑑賞して批評を書きました。

「やったね! 大スクープ!!」には、付録にビーグル新聞がついています。文化欄にハッカライネン部長の美術批評が掲載されていますので、ご紹介しましょう。「やすらぎ」という題名の絵の批評です。

「ラッシュ氏の油絵は、ますいちゅうしゃのような力をひめている。ラッシュ氏の自由な色づかいと筆づかいは、あたかも、あったかいミルクのようだ。
展覧会のなかでいちばんすぐれた作品は、なんといっても、催眠術をかけるような魅力にあふれた『やすらぎ』だろう。このけっさくは、みる者をとらえてはなさない。かくいうわたしも、この絵の前にくぎづけになり、1時間ほどぐっすりねむってしまった。--ハッカライネン」(稲垣美晴訳)

ハッカライネン部長(ぐっすりメーメさん)の面目躍如ですね。

「大時計のおばけたち」(1997・偕成社・稲垣美晴訳)では、登場人物の紹介ページに「グッスリ=メーメ」と、きちんと紹介されていますが、話をする場面はひとつもなく、ただ歩いている姿が4箇所あるのみです。しかし、裏表紙に特別扱いされているのを見ると、作者クンナスの愛着が伝わってきます。

そのうち、「ぐっすりメーメさん、ここにもいるね」と、子供たちが本の中のメーメさんを探すようになり、主人公ではないけれど、常に読者の気になる存在になりました。もはや、ぐっすりメーメさんは、フィンランドで大人気。マウリ・クンナスの故郷ヴァンマラには、「ハッカライネンさんの家」(Herra Hakkaraisen talo)が建てられました。そこには、クンナスの絵本の世界を楽しめる部屋やキャラクターグッズ(ぐっすりメーメさんのジュースもあるんですよ!)の売店があり、時々作者のサイン会も行われています。

タッスラ・シリーズには、タッスラという町に住む人たちの楽しい生活が描かれています。このシリーズを読むと、ぐっすりメーメさんには、おばさんが7人いることがわかります。もちろん、おばさんたちも皆、夜のお散歩が大好き! 7人姉妹の行列散歩は見事です!

「わすれられないクリスマス」(2008・猫の言葉社・稲垣美晴訳)は、タッスラ・シリーズの第3作目。ぐっすりメーメさんの夜のお散歩のお蔭で、何をもらっても喜ばなかったお金持ちのお坊ちゃまオンニ君が、「このプレゼント、最高!」と大喜び。ぐっすりメーメさんが大活躍でした。

「ぐっすりメーメさん、夜のおさんぽ?」(2009・猫の言葉社・稲垣美晴訳)では、とうとうメーメさんが主役になります。テレビのニュースに出たり、市長さんから表彰されたり、ぐっすりメーメさん大躍進の巻です。この本で明らかになるのは、モルモットのマサと暮らしていることと、ぐっすりクレークラさんというガールフレンドがいることです。

最初の頃の絵と比べると、少しずつメーメさんの容姿が変わってきたことにお気づきになるでしょう。月明かりをバックに、ますます洗練された寝巻き姿でお散歩するぐっすりメーメさん、なかなかステキですね! (稲垣美晴・記)

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フィンランドで紹介された書評

2009年10月26日
「ぐっすりメーメさん 夜のおさんぽ?」の原書 OTAVA 1999

「ぐっすりメーメさん 夜のおさんぽ?」の原書 OTAVA 1999

「ぐっすりメーメさん 夜のおさんぽ?」 猫の言葉社 2009

「ぐっすりメーメさん 夜のおさんぽ?」 猫の言葉社 2009

脇役の頃から大人気のぐっすりメーメさんが、今回ファン待望の主役に昇格した。ぐっすりメーメさん、昼間は、健康的で落ち着いた生活だが、夜は、買物カートで暴走、夜中の暴食、ロックを絶唱と、ずいぶんダイナミック。この本に出てくる夜の出来事を見ると、作者が当世若者文化の現象をよく観察していることがわかる。---「カレヴァ」紙

子供たちにとって、クンナスの本は、お楽しみがいっぱいだ。帽子をかぶったコウモリ、屋根の上の芝刈り機、ロックバンドのスタジオにある鳩笛。どのページにも、とても魅力的なものがあふれている。---「ランシ・ウーシマー」紙

ものすごく楽しいこの本を、子供たち、そして、子どもの心を持つすべての人に推薦したい。---「イルッカ」紙

マウリ・クンナスの本は、クリスマスプレゼントに最適だ。一回読んでそれっきりという本とは違い、何度も何度も手にしてディテールを楽しめる。おとなしくて恥ずかしがり屋のぐっすりメーメさんだが、眠っているときは別人のよう。愛すべきぐっすりメーメさんが、夜の町の英雄になる!---「コウヴォラン・サノマト」紙

作者自身が、絵本作りを楽しんでいることがわかる。遊園地にもさまざまな乗り物を創造した!---「トュルヴァーン・サノマト」紙

マウリ・クンナスの「ぐっすりメーメさん 夜のおさんぽ?」は、けっして読者の期待を裏切らない。---「ティエドンアンタヤ」誌

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「カイサのふうせんガム大さくせん」作者インタビュー

2009年05月11日
作者サムリ・ヴァルカマ(C)Samuli Valkama

作者サムリ・ヴァルカマ(C)Samuli Valkama

「カイサのふうせんガム大さくせん」 猫の言葉社

「カイサのふうせんガム大さくせん」 猫の言葉社

(C)Samuli Valkama

(C)Samuli Valkama

(C)Samuli Valkama

(C)Samuli Valkama

作者 サムリ・ヴァルカマ(青字テキスト)
訳者 稲垣美晴(黒字テキスト)

フィンランドの出版社の編集長から「カイサのふうせんガム大作戦」を頂いたとき、「カイサって、日曜日の朝の、まだ髪をとかしてない日本人の女の子みたいね」って言ったのを覚えているわ。濃い色の髪(フィンランド人の金髪に比べて)、黒い目・・・・・・私にそっくり。どうして私がこの本の主人公なんだろうって、不思議に思ったの。(笑)カイサって、私たち日本人にとって、なじみやすい容姿だし、とてもたくましいタイプね。

カイサが日本人に見えるって、本当!? 面白いね。考えてもみなかった。カイサ誕生のきっかけはね・・・・・・。あるとき、退屈な話を聴いていて、メモ帳の隅に、風船ガムで空を飛んでる人を描いていたんだ。退屈な話から飛んで逃げようと・・・・・・。そのイタズラ書きが、長い間僕の心から離れないで、とうとう本になったっていうわけなんだ。

今、世界的な不況だし、ちょうどカイサのような元気な女の子が必要ね。ヨハンナ・ミトヨネンも書評(ソネラ・プラザ)で、「長くつ下のピッピのいとこ!?・・・・・・カイサは21世紀の少女達の素晴らしい理想像」って書いているでしょ。

カイサは、初めから、冒険好きで機知に富む性格にしようと思ったんだ。児童文学に、もっとこういう元気者の女の子が必要だと思って。

カイサとロボットおばあさんの関係もいいわね。カイサがおばあさんを手伝ってあげて、おばあさんが若返る・・・・・・ステキなふれ合い・・・・・・。特にいいなと思ったのは、次のやり取り。

「おばあさん、どうして腰を曲げて歩くの?」
すると、おばあさんはこう言った。
「あるとき、クッキーを床に落としたの。腰を曲げて、あちこち探していたら、クッキーは見つかったんだけど、腰を伸ばすのを忘れてしまったのね。そのうち、まっすぐに立とうと思っても、もうできなくなったっていうわけ」

ユーモラスなこの返事は素晴らしいと思うの。私の母(89歳)は、いつも愚痴をこぼしているのよ。「友達が次々に亡くなったり、老人ホームに入ったりして、もう近所に知り合いがいなくなった」って。ロボットおばあさんのように、小さい子ども達の質問に楽しく答えられたら、たくさんかわいいお友達ができるのにね。ロボットおばあさんのモデルはいるの?

カイサとおばあさんの関係についての君のコメント、うれしいな。ありがとう。ロボットおばあさんはね、ユーモアのあるお年寄り像を創造したいっていう夢から生まれたんだ。年を重ねるってことが、ユーモアを解する心を失うことになってはいけないと、僕は思う。僕のおばあさんは二人とも、“スーパーナイス”だったけど、一般的には、お年よりは皆、真面目だって、若い頃は思ったね。でも、必ずしもそうではないよ。勇気を出して自分よりもずっと年上の人たちと親しくなろうと努力しなくちゃいけないんだ。他人に対する先入観について、そして、それに打ち勝つことについても「カイサのふうせんガム大さくせん」に書いたんだ。

このお話は、構成がダイナミックで、とても上手くできているけど、書くことはどうやって学んだの? たくさん本を読んだ? どんな本や作家が好き?

子どもの頃大好きだったのは、フランス人作家ルネ・ゴシニのユーモラスな「プチ・ニコラ」シリーズと、アストリッド・リンドグレーンの本。僕は、6歳で本が読めるようになったんだ。お母さんがリンドグレーンの「山賊の娘ローニャ」を僕に読んでくれたんだけど、すごーくゆっくりだった。僕は、話の続きが早く知りたいと思っているのに・・・・・・。それで、自分で読む必要ができたっていうわけ。この二人の作家は、僕に、そして、僕の仕事にも大きな影響を与えたと思う。

絵本は、すごく若いときから作りたいと思っていたんだ。これは、マウリ・クンナスの影響。彼の絵本はすごいよね。僕の祖母が、マウリ・クンナスのお母さんと知り合いだったとかで、時々プレゼントにサイン入りの本をもらったんだ。サインのそばに小さな絵も描いてくれたんだよ。そういうのを見たら、やる気になるよね。

ちょっと話がそれるけど、僕が憧れている映画人の一人に、宮崎駿がいる。彼の映画は全部見た。「千と千尋の神隠し」は、もう10回くらい見たと思うな。彼の作品でも、女の子が不思議な所を冒険するよね。彼も、「長くつ下のピッピ」が好きだって、何かに書いてあったよ。

コンピュータで描く挿絵については、慣れていない人もいるし、好き嫌いがあるかもしれないけど、あなたの意見を聞かせて!

最近は技術がもうずいぶん発達したから、絵を見ても、手で描いたのか、コンピュータを使っているのか、分からないくらいなんだ。僕はこの頃、WACOMのペンタブレットを使っている。つまり、コンピュータに接続しているタブレットの上に描く。すると、そこに描いた線が、そのままコンピュータの画面で確認できる。次のカイサの本は、このやり方で描いているんだ。すごく解放された感じがする。手描きのタッチが、そのまま苦労なく使えるわけだから。

「カイサのふうせんガム大さくせん」を作っていた頃は、ベクター画像(物の輪郭を線で表した画像)の鮮明さが気にいっていた。勢いがあって、新しい感じがしたんだ。

手描きの絵のほうを評価する人、コンピュータの絵のほうが好きな人、両方いると思うけど、僕は、両方とも理解できる。最近は、両方の世界の長所を一つにできたらいいと思うし、できると信じたいね。

本の最後に、カイサが次の作戦を考えているでしょ。プリンと輪ゴムとワニ1匹使う作戦。読者は、本当にその作戦を期待すると思うけど・・・・・・

そうだったね。次の本のテーマにいいかもしれない。でも、もう、次の本を作っているんだ。カイサがクローゼットから象を見つけて、いっしょにピクニックに出かける話。想像力のパワーを感じる本になると思うよ。フィンランドで、2009年秋に刊行予定。

今からとても楽しみね!

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映画監督・絵本作家 サムリ・ヴァルカマ(自己紹介)

2009年05月09日
サムリ・ヴァルカマ (C)TAMMI

サムリ・ヴァルカマ (C)TAMMI

カイサ・シリーズの絵本 TAMMI

カイサ・シリーズの絵本 TAMMI

1974年12月4日生まれ。フィンランド国立工芸大学卒業。大学では、グラフィック・デザインを専攻しました。でも、アニメもずっと作っていたので、2004年ベルリン国際映画祭のタレントキャンパス(若い映画制作者向けの国際サミット。世界中から若手フィルムメーカーを集めて、専門家からの指導や国際ネットワークを広げる機会を提供)に参加。そこで脚本賞を受賞しました。そのおかげで、映画 “Alright Love”を制作できることになったのです。この映画は、2005年ベルリン国際映画祭でベルリン・トゥデイ賞を受賞。この成功で、映画への道が開けました。2006年、Woodpecker Filmの広告ディレクターになり、2008年には2作目の映画 “Feelings and Stuff”を制作しました。僕の2本の短編映画は、国際映画祭で計10回以上受賞し、100カ国近くの国で上映されました。

絵本作家としては、2005年に「カイサのふうせんガム大さくせん」(原題 “Kaisa Lipposen ihmeellinen matka”)でデビューしました。2作目は“Kaisa Lipposen 7 joulua”(「カイサの7つのクリスマス」仮題)です。3作目は、絵本の読者より少し上の年齢の子ども達のために、“Pingviini William”(「ペンギンのウィリアム」仮題、挿し絵 Nadja Sarell)という物語を書きました。

現在、カイサ・シリーズの3作目を作っています。映画のほうは、初めての長編映画の脚本を書いているのと、次の短編映画の撮影の準備をしているところです。

妻のテリーナとヘルシンキに住んでいます。趣味は、映画鑑賞(今、ガーデン・ステイトと、フランソワ・トリュフォー監督の映画と、テレビドラマのザ・ワイヤーに夢中)、サッカー(プレイするのも観るのも大好き。特にマンチェスター・ユナイテッド!)、読書、旅行。ベルリンには、年に数回行きます。精神的な意味で、僕の第2の故郷だからです。そのうち、日本にもぜひ行ってみたいと思っています。(2009年2月 サムリ・ヴァルカマ)

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絵本作家オイリ・タンニネン

2009年04月19日
絵本作家オイリ・タンニネン (C) OTAVA/Oili Tanninen

絵本作家オイリ・タンニネン (C) OTAVA/Oili Tanninen

「ヌンヌ」 オイリ・タンニネン作 あすなろ書房 2009

「ヌンヌ」オイリ・タンニネン作あすなろ書房 2009

夫アールネ・タンニネンの本の挿絵(C)オイリ・タンニネン WSOY

夫アールネ・タンニネンの本の挿絵
(C)オイリ・タンニネン WSOY

夫アールネ・タンニネンの本の挿絵(C)オイリ・タンニネン WSOY

夫アールネ・タンニネンの本の挿絵
(C)オイリ・タンニネン WSOY

夫アールネ・タンニネンの本の挿絵(C)オイリ・タンニネン WSOY

夫アールネ・タンニネンの本の挿絵
(C)オイリ・タンニネン WSOY

オイリ・タンニネンは、1933年にソルタヴァラ(当時はフィンランド領でしたが、現在ロシア領)で生まれました。美術学校で陶芸を学んだ後、アラビア社で陶器のデザイナーとして、また、職業訓練学校で陶芸、絵付け、染色の教師として、仕事をしていました。ところが、ある日突然、アーティストとしてのキャリアを断念しなければならなくなったのです。それは1958年のことでした。

夫アールネ・タンニネンが、日刊紙ウーシ・スオミの特派員としてモスクワに赴任することになったのです。編集長からモスクワへ行くかどうするかと聞かれたとき、アールネ・タンニネンは15分以内に返事をしなければなりませんでした。当時タンニネン家には電話がなかったので、妻オイリの意見を聞くこともできません。

アールネ・タンニネンは、その仕事を承諾しました。そして、彼は、フィンランド人としてヤルノ・ペンナネンに次いで二人目のモスクワ駐在員になったのです。オイリは、生後4ヶ月の娘マイヤと共に同行しました。

モスクワには1958~1963年まで滞在しました。そのとき、娘のために絵本を作り、それをフィンランドの出版社に送ったのが、絵本作家としてデビューするきっかけになったのです。

モスクワから帰り、1年半はフィンランドで暮らしましたが、次はロンドンに赴任(1965~1969)することになりました。ロンドンには、オイリのアトリエがありました。そこは、以前、肉の倉庫(おそらく、羊や豚や七面鳥などをつるしていた所)として使われていたような小さな物置で、机と椅子を置くのがやっとだったそうです。そんな環境でしたが、オイリは、ロンドン滞在が実り多い時期だった理由として、ハムステッド緑地公園などの木の存在を挙げています。

オイリの作品の多くは、紙を切って貼るコラージュですが、もう一つ「指紋アート」(!)もあります。指にインクをつけて紙に押し付けていく方法。この技法を使ったのが、「ロボットのロムルスくん」(講談社)です。この技法で、イタリアの展覧会に出す絵を描いて家じゅうに広げていた頃、タンニネン家に泥棒が入りました。捜査に来た刑事達は、犯人の指紋を採取しながら、オイリの「指紋アート」に驚き、とても興味深く見ていたそうです!

紙を細かく切って貼っていくコラージュの技法について、紙を切るより線で描いたほうが簡単なのでは、と言われることもありましたが、オイリはこう答えています。「私自身、どうして紙を切っているか分からないけど、とっても楽しいのよ。おそらく、ものすごくいいセラピー(療法)になっているんだと思うわ」

1970年、アールネ・タンニネンは、ウーシ・スオミ紙からYLE放送に職を変わります。そして、1981年から定年を迎える1994年まで、ワシントンに駐在することになりました。レポーターとして最後に言う「こちらワシントンのアールネ・タンニネンでした」というフレーズを、フィンランドで知らない人はいません。

こうして、タンニネン一家は24年間外国暮らしをしました。「外国生活のおかげで、私の人生も仕事も豊かになった」と、オイリは語ります。けれども、フィンランドに里帰りをしたときはやはり格別でした。「ヘルシンキに戻ると、二晩は静寂に耳を傾けたわ」

オイリ・タンニネンの作品は大きく2つに分かれます。現実生活を踏まえたものと全くの想像によるもの。モスクワから帰って住まいを見つけるのが大変だった住宅難の時代が反映されているのが「ボタンくんとスナップくん」(講談社)です。「ヌンヌ」は、それとは真逆の楽しい空想の世界。ヌンヌと同じくらいの年齢の娘達と話しながら、紙を切っていたオイリ・タンニネンの姿が目に浮かぶようです。(稲垣美晴・記)

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オイリ・タンニネン作「ヌンヌ」について

2009年04月16日
「ヌンヌ」 オイリ・タンニネン作 稲垣美晴訳 あすなろ書房 2009

「ヌンヌ」 オイリ・タンニネン作 稲垣美晴訳 あすなろ書房 2009


(c) オイリ・タンニネン

(c) オイリ・タンニネン


フィンランド語版合本 オイリ・タンニネン作Otava社 2007

フィンランド語版合本 オイリ・タンニネン作Otava社 2007

あすなろ書房から「ヌンヌ」(オイリ・タンニネン作、稲垣美晴訳)が出版されました。「ヌンヌ」シリーズは、フィンランドで1965年66年69年に刊行され、その3冊が合本として2007年に復刊されました。復刻版が出版されるやいなや、レトロが歓迎されるこの時代、タンニネンの個性的なコラージュは、フィンランドだけでなく、諸外国からも注目され、すぐにドイツ語とイタリア語に翻訳されました。

あすなろ書房の「ヌンヌ」は、1965年初版の1冊目の「ヌンヌ」です。眠る人のお手伝いさんヌンヌ、起きる人のお手伝いさんホップ、ちょっぴりへそまがりのモックが活躍します。プリッリ博士の昼寝のお手伝いをするはずなのに、ヌンヌがいつまでも起きません。さあ、どうなるのでしょう・・・・・・

タンニネンは「ヌンヌ」で、紙を切ったりちぎったりして貼り付け、それに、線画を施すという技法を用いています。フィンランドで、モダンな絵本作りをした最初の作者といえるでしょう。使っている色は限られているのに、とても印象的。それに、ヌンヌの愛らしさといったら、大人も虜になりそうです。それから、プリッリ博士の髭(線画)の見事なこと!

子どもの頃から物語を書いたり、絵を描いたりするのが好きだったタンニネンは、ソ連との間に冬戦争(1939年11月~1940年3月)が勃発した6歳のときに、防空壕の中で、絵を描いて怖さを払拭したそうです。ヌンヌのかわいい表情からは、とても想像できないような経験の持ち主でもあるのです。

フィンランドで復刊されたときの書評を見ると、60年代のキーワード「サイケデリック」という見出しが躍っています。「『ヌンヌ』は決して古びない。大人は、空想的な色彩世界に、子どもは、ファンタスティックなかわいい登場人物たちに、魅了される」(メイダン・ペルヘ誌)そして、「全く自由な発想で、巧妙にお話が進んでいき、次に何が起こるか予想がつかない」(イタ・サヴォ紙)と、奇想天外な面白さも評価されています。

タンニネン自身は、自作についてこう語っています。「物があふれ、暴力を娯楽としているこの時代の子ども達にとって、本当に必要なもの、温かさ、ユーモア、思いやりを、私の本から見出してくれたらと願っています」(1990)

タンニネンは「ヌンヌ」のアニメも手がけました。その制作をしたのは、夫アールネ・タンニネンが日刊紙ウーシ・スオミの特派員として、一家でロンドンに住んでいたときです。アールネ・タンニネンの回顧録を読むと、オイリが、どんなアトリエで、どんな風に仕事をしていたのかがよくわかります。

「ヌンヌ」の中で、ヌンヌたちは木に住んでいますし、きれいな卵を産む鳥ヘプスケプスたちもたくさん木にとまっています。オイリ・タンニネンが、これらの木と重ね合わせて心の安らぎとしていた木が、どこにあるか、わかりました。ロンドンにあるハムステッド緑地公園。週末よく家族で遊びに行ったその公園に、ヌンヌたちが住んでいそうな木があるのです。たくさん木のある緑地公園の中のどの木が、ヌンヌの眠る「夢の木」か、オイリ・タンニネンは言い当てることができるそうです!(稲垣美晴・記)

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「サンタクロースと小人たち」(偕成社)について

2008年12月18日
偕成社 1982

偕成社 1982

「サンタクロースと小人たち」原書 OTAVA  1981

「サンタクロースと小人たち」原書 OTAVA  1981

刊行20年記念特装版 OTAVA 2001

刊行20年記念特装版 OTAVA 2001

世界的に人気のある絵本作家マウリ・クンナスの作品は、現在26の言語に翻訳されて29カ国で読まれています。特に「サンタクロースと小人たち」(1982年、偕成社)は人気があり、1981年にフィンランドで出版(原題は joulupukki)されて以来、23の言語(中国語、クロアチア語、英語、エストニア語、フェロー語、フランス語、デンマーク語、ドイツ語、ギリシャ語、ハンガリー語、アイスランド語、イタリア語、日本語、ラトヴィア語、リトアニア語、ノルウェー語、ポーランド語、ロシア語、セルビア語、スロヴェニア語、スウェーデン語、タイ語、ウェールズ語)に翻訳されました。この代表作について、マウリ・クンナスは次のように回想しています。

「サンタクロースと小人たち」は、僕の人生における大きな節目だった。あの本が成功したからこそ、プロの絵本作家になる決心をしたわけだから。
あれは僕の3冊目の絵本。1冊目はフィンランドの小人伝説をまとめたもの(「フィンランドのこびとたちトントゥ」文化出版局)。2冊目はフィンランドの伝統的な生活をまとめたもの。だから、3冊目は、ごく自然にその2冊の延長上に、小人+伝統的な生活という形でできた。
世界一有名なフィンランド人、サンタクロースについて書かれた本が、それまでフィンランドになかったっていうのは、不思議だった。僕は、サンタと彼の仕事について、できるだけ正確で包括的なイメージを与えるような本を作りたいと思ったんだ。そして、結構すんなりできた。僕がサンタについて描いていたイメージをそのまま絵にしただけ。特に考えあぐねるっていうようなことはなかった。うれしいことに、それが多くの人に認められたんだ!

フィンランドでの本の反響は、期待以上のものだった。でも、もっとすごかったのが、国際的な関心。本ができてすぐ、フランクフルト・ブックフェアがあって、フィンランドの出版社OTAVAが本を持っていったわけだけど・・・・児童書の編集長が電話をかけてきて、こう言うんだよ。「外国の出版社の人たちが、我先にと本を取り合って、版権取得を競っているわ!!」わけがわからなかったけど、「これはただ事ではないぞ」って思ったね。あのときのことは、一生忘れられないな。

もう一つ脳裏に焼きついているのが、1985年のクリスマス。アメリカに半年滞在して、向こうの出版社のための絵本を作っていた頃のことだけど・・・・ サンフランシスコの大きなデパートの本売り場を、妻のタルヤとあちこちぶらぶらしていたら、どこにもすごい量の「サンタクロースと小人たち」英語版が平積みになっていた。ものすごい量だったから、びっくりしたよ。

それから、日本でも長年読まれているよね。キリスト教のクリスマスを祝う国ではないのに、僕の「サンタクロースと小人たち」を気にいってくれたのは、驚きだし、すごくうれしく思っているんだ。(マウリ・クンナス談)

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マウリ・クンナス ― クリスマスの思い出

2008年12月10日
マウリ・クンナス (C) OTAVA / Ville Juurikkala

マウリ・クンナス (C) OTAVA / Ville Juurikkala

僕が子供のときにもらったクリスマス・プレゼントのなかで一番すごいのは、木工家の父親が作ってくれた木馬。それは、木馬の上に牛の皮が貼ってあったから、本物の馬みたいだった。それから、View Master ( Viewer と呼ばれる本体に Reel という特殊なフィルムを入れて覗くと、立体画像が見えるもの)も、大好きだった。8歳のときにサンタからもらったんだけど、「トムとジェリー」を擦り切れるほど見たよ。

サンタクロースに対しては、ちょっと怖いと思いつつも尊敬の念を抱いていたって感じかな。うちの場合、たいていサンタは、来ても、玄関の所で父親と二言三言言葉を交わすと、プレゼントを置いて帰っていった。フィンランドの子どもたちは、サンタに歌を歌ったりするんだけど、僕はサンタの前に出て行く勇気さえなかったから、歌を歌うなんてもってのほか。だから、サンタが帰ると、ホッとした!

一度だけ、サンタが家の中まで入ってきたことがあったんだ。そのとき、僕はベッドの下にもぐったきりで、いくらみんなに呼ばれても、絶対に出て行かなかった。ベッドの下から見えたのは、サンタのブーツだけ! そのとき、サンタをまるごと見ておけば、楽しい思い出になっただろうにね・・・ (マウリ・クンナス談)

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マウリ・クンナス ― 仕事と趣味

2008年11月19日
マウリ・クンナス

マウリ・クンナス(C) Miharu Inagaki

作家や画家の仕事って、とっても楽しいよ。好きな時に仕事ができる。だけど、かなりたくさん仕事をこなさなくちゃならないし、なまけられない。こういう仕事は孤独だよね。だから、いつも面白いってわけじゃない。

僕は家の地下室で仕事をする。つまり通勤距離は7メートル。幸い僕の出版社オタヴァはけっこう近い。少なくとも週に1回は出版社に打ち合わせを兼ねてコーヒーを飲みに行く。夏は故郷ヴァンマラの別荘で過ごすんだけど、そこにも僕の仕事場があるんだ。

僕の絵本のアイデアは、いつでもどんなことからでも生まれる。人と話しているときに、「あっ、これは本にできるぞ」と思ったことが何度もある。何か絵を見て考えが浮かぶこともある。こういう絵は、本の中でよく見えるだろうなってね。

たいていアイデアはゆっくり生まれるんだ。たとえば・・・僕はフィンランドの歴史に興味を持っている。どうやったら本にできるか、まずは自分で考えてみる。時には、編集者と一緒にいろいろなテーマについてじっくり話し合う。妻のタルヤもいいアイデアを出してくれるし、僕のぶっとびすぎているアイデアについては、適切な批判をしてくれるんだ。

仕事をする時間は、自分で決めていいわけだけど、趣味に当てる時間が全くないような感じがする。時間があるときはいつも、映画を見に行くけどね。アクション映画をよく見る。大好きなのは、ヒッチコックと昔のジェームス・ボンド。マルクス兄弟も面白いね。

読書もするよ。なぜかビートルズについて書いてある本を読むのが好きでね。趣味はビートルズってとこかな・・・。レコードと、古いインタビューや記者会見のテープを集めている。ビートルズの伝記をマンガで描こうかと思って、もう10年以上構想を練っているんだ。実現するかどうか・・・。歴史の本もたくさん読むよ。特にバイキングの時代が好き。それと、あとは推理小説かな・・・

テレビはほとんど見ない。でも、イギリスの連続ドラマはビデオに録っておいて、夜、寝る前に見る。毎晩テレビの前に座ったきりなんてありえない。僕は夜も仕事をするんだ。

最近、系図学にも興味がある。家系や血統を調べていくうちに、フィンランドの歴史がわかるようになってくる。

さっき、趣味の時間がないって言ったけど、けっこういろんなことをやってるよね。でも、一番大事な趣味は、ストーリーを考えることと絵を描くこと。つまりそれが僕の仕事なんだけどね。まあ、運のいいヤツってとこかな・・・。(マウリ・クンナス談)

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マウリ・クンナスってどんな人?

2008年10月22日

(C) OTAVA / Ville Juurikkala

(C) OTAVA / Ville Juurikkala



僕は1950年2月11日、フィンランドの小さな町ヴァンマラ生まれ。父マルッティは木工家だったから、我が家の1階は旋盤や丸鋸のある作業場になっていた。僕が小さい時、父はおもちゃを作っていたんだ。人形の乳母車や、犬に車輪がついていて引っぱって遊ぶおもちゃ等。その後、家具作りに転向したけど・・・

僕もよく父の作業場でいろんなことをやった。でも、不器用だったからうまくいかなかった。釘を打っても、どれも曲がったよ。一番好きな道具はヤスリだったな・・・父の作ったおもちゃは、家の2階で色を塗った。2階は倉庫にもなっていた。「サンタクロースと小人たち」に描いた倉庫は、昔の僕の家にそっくりなんだ!

僕には、10歳ほど年の離れた兄マッティと姉ピルッコがいる。兄はとても絵がうまかった。たぶん僕よりうまいよ。でも、法学部に入ったから、法律家になったんだ。姉は色彩感覚が優れている。歌もうまくて、結局オペラ歌手(Pirkko Talola)になったけどね。母マルッタは食堂の仕事をしていたことがあって、そこで残ったドーナツを僕たちは家でよく食べた。

僕は小さい頃からよく絵を描いていた。高校の美術の先生から、絵の先生になるといいってすすめられたこともある。不器用だったけど、いろんな工作、特に紙を使ったものが好きだった。パラパラ漫画とか、クリスマス・カレンダーも作ったよ。でも、中に入れるプレゼントはなかった。1950年代、うちは裕福じゃなかったからね。

近所に友達がいっぱいいた。遊びはカウボーイやロビンフッドごっこ。武器は自分達で作ったんだ。僕が板にピストルの絵を描く。すると、父が、僕の描いた線の通りに帯鋸で切ってくれた。それから、小刀やヤスリで銃口やグリップをピストルの形に作っていく。最後に、銀色に塗ると、かっこいいピストルになったね。ピストル入れは、靴工場の廃棄場から拾ってきた皮を縫って作ったんだ。

フィンランドでドナルドダックの第1作目が出版されたのが1951年。54年には、我が家に届けてもらうようになった。僕は、ドナルドダックのお蔭で、絵が描けるようになったし、字も覚えたんだ。読み書きはずいぶん早いうちにできるようになった。3歳で自分の名前が書けたよ。他のマンガ雑誌も大好きだった。

高校を卒業するときの平均点は7(10段階評価)以下だったけど、美術はいつも10だった。
初めての図工の時間のことをよく覚えている。「夜の空」を描きなさいって言われたんだ。僕が星を白く塗ったら、みんなに笑われた。黄色く塗らなくちゃいけないんだって!? びっくりしたよ。僕には今でも星は白く見えるけどね・・・

14歳の時、初めてのギター Lucky 7 をサンタクロースからもらったんだ。高校生になって、熱心なビートルズ・ファンになった。髪も伸ばしてね。イギリスやアメリカのポップスをよく聴いた。ローリング・ストーンズ、ザ・フー、ビーチ・ボーイズ、ボブ・ディラン、ママス&パパス、ジミー・ヘンドリックス等々。ギターをかき鳴らして、みんなで歌ったよ。でも、一度もバンドに入ったことはなかった。

今でも、ギターは6本(エレキ3、アコースティック3)持っている。最近はヴァンマラの昔の仲間でバンドDZAMPSをやっているんだ。月に1度集まって、60年代のヒット曲、ローリング・ストーンズとかビートルズを弾いている。すごく楽しい! 僕にとって音楽はとても大事。だから、音楽のない人生なんて想像できないな。(マウリ・クンナス談)

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「わすれられないクリスマス」の書評

2008年10月10日

わすれられないクリスマス

フィンランドの新聞に掲載された書評をご紹介します。

小学生の少年オンニは、両親があらゆる物を与えて甘やかしているにもかかわらず、毎日ふさぎこんでいる。クリスマスになると、親からのプレゼントの洪水はさらに勢いを増す。お金が物を言うビジネス界の父親は、オンニにいろいろな物を買って来るのだ。
座ってスイッチを押すだけで雪合戦ができる雪のボール・マシン、自分でこがなくても勝手にペダルが動く室内用自転車、自動的に真ん中に当たるようになっているダーツ、すでにたくさん切手が入っている切手収集セット、等々。何を見ても、息子が興味を示さず、退屈しているので、父親は不思議に思う。そして、プレゼントを次々に開けるプレゼント・ショーは、次の日に持ち越すことに・・・
すると、運良くぐっすりメーメさんが、クリスマス・イヴにも夜の散歩に出かけ、サプライズを行うことになる・・・
あくる朝、町の人たちは大喜び。なんと、オンニも!
マウリ・クンナスは、またもや気のきいた児童書を創作した。オンニの話は面白いし、同時に、物質主義の批判にもなっている。---「イルッカ」紙

自分の部屋のベッドでボーッとしているオンニは、物がありすぎて、何にも興味を抱かない。父親はこの状況を理解せず、無感動なオンニにどんどん物を与え続ける。この本の教訓は、何から何までお膳立てをしてはいけないということだ。
本の最後に明かされるクリスマスのサプライズは、特に男の子たちが喜ぶだろう。子ども自身がアイデアを出して自己実現することに勝るものはない。---「イタ・サヴォ」紙

両親が子供にたくさん物を与えても子供が喜ばない、というストーリーはよくある。だが、マウリ・クンナスは、独自の新鮮なスタイルで本をまとめたので、テーマの古臭さを感じさせない。---「キュメン・サノマト」紙

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「フィンランド語は猫の言葉」今・昔

2008年10月10日


文化出版局から単行本「フィンランド語は猫の言葉」が出版されたのは1981年11月のことです。当時はフィンランドといっても、日本では全く未知の国でした。そこで、本書は、珍しい国のレポートとして、語学に興味を持つ人たちだけでなく、広く一般の方々に読まれました。まず、朝日新聞にこういう記事が載りました。

「フィンランドといえば、『森と湖の国』。しかし、この北欧の国について、それ以上の知識を持つ日本人がどれだけいるだろう——こんな思いから、稲垣美晴さんは『フィンランド語は猫の言葉』を著した。昨年まで約3年間の現地での留学体験を、エッセー風にまとめたもの。肌身で触れたフィンランドの人と言葉を紹介する本は、日本ではこれまで、まずなかったという。
東京芸大の卒論のテーマにフィンランドの美術を——と、1976年夏、ヘルシンキに2ヶ月間滞在したのが、“病みつき”になるきっかけだった。同国の美術についての研究は日本ではあまり行われておらず、稲垣さんを同国に誘ったのも、もとはといえば実は音楽、かの舘野泉氏のピアノによるシベリウスなどだったのだが、かの地で暮らしてみると“透明感のある自然や素朴な人たち”——つまり、東京にはないあれやこれやに、強くひきつけられた。
翌春、再び渡航。国民的大画家、アクセリ・ガッレン=カッレラに関する論文を書くため、ヘルシンキ大学でフィンランド語の勉強を本格的に始めた。
・・・・・・・・この本から受ける印象は「刻苦勉励」とは別のもの。お得意の作文の話、友人や教師達とのつきあいのエピソード、故国を一人離れた自分の心理状態の観察など、そこここに、持ち前の茶目っ気とユーモアのセンスがあふれている。・・・・・・・読み終わると、この遠い国が、少し近くなったような気にさせられる。」——朝日新聞1981年11月17日

当時の書評を他にもご紹介します。

「森と湖の国、白夜やサウナの国として知られるフィンランド。だが、その湖が6万数千もあり、日本と同じ面積に人口は約470万人しかいない、といった事実はほとんど知られていない。東京芸大で美術を学んでいた著者は同国の美術にひかれ、留学する。合計3年間の留学で体験し、見聞きした同国の大学生活、人々の暮らしや自然をレポートしたのが本書。Rの発音や長たらしい人名に悩まされたこと、相槌が『ニーン』と猫みたいで戸惑ったことなどが茶目っ気たっぷりに書かれていて特殊語の同国語を習得するまでの奮闘ぶりは楽しく追体験できる。」——北海道新聞1981年12月1日 「フィンランド語に魅せられたひとりの若い女性の、フィンランド留学中のさまざまなエピソードが愉快に描かれています。
フィンランド語が著書の中心になりながらも、生活様式や文化など、私達日本人にとっては『おとぎのくに』のような北欧世界のことが紹介されています。
森と湖の国・フィンランド。暗く雪におおわれた厳冬、人々がうかれだす白夜の夏。フィンランドの大学生活。フィンランド語修得の苦労や笑い話——。
『・・・フィンランド人がカンニングをして、すぐ大学から追放された。・・・日本の大学職員が入試に不正をしたというニュースをヘルシンキで知って、私は心を痛めた』
など、日本の『後進性』もチクリ。
フィンランドの生活ぶりがわかる楽しい本です。」——赤旗1981年12月27日
「コーヒーがカップの受け皿にこぼれることはよくあることである。そのままにしておくと飲むたびにカップの底からたれてくる。こんなとき、フィンランド人なら、こぼれたコーヒーをカップにもどして飲む。皿はきれいに洗ってあるのだから別に不潔ではない。それどころか年寄りなどで熱いコーヒーの嫌いな人はわざわざ受け皿にあけて飲むのだそうである。『フィンランド語は猫の言葉』は日本人にはちょっと珍しく見えるこんなフィンランド人の生活ぶりを随所に見せてくれる。
著者の稲垣さんは東京藝術大学在学中にフィンランド政府から奨学金を受け、ヘルシンキ大学に留学した女性である。その留学記であるこの本を読んで感じるのは一人の若い日本女性に対するフィンランドの人たちの温かさである。彼女は北欧のこの国が好きになり、『これからはフィンランドと日本を結ぶ架け橋になれればいい』と願う。そして、この本は立派に『架け橋』第1号になっている。
ところで、稲垣さんは自分のことを『さしずめ激芬家(げきふんか=激しくフィンランドのことをやる人)というようなところでしょうか』と本のあとがきに書いている。日本にも各国から多数の留学生が来ているが、『激日家』とはいわないまでも日本を好きになって帰ってくれているだろうか。国と国とのこれからの相互理解にはこうした若者が一人でも増えることが何よりも役に立つ。」——日本経済新聞1982年1月20日

その後、講談社文庫から文庫版が出版されましたが、最近は入手困難な状況が続いていました。本書の復刊を望む声が多く、とうとう猫の言葉社が新装版を刊行する運びとなりました。本が産声をあげてから27年たった現在、日本においてフィンランドは、教育をはじめさまざまな分野で注目される国になりました。

『家庭画報』2008年9月号には、新装版が紹介されました。

「フィンランド語を習得していく著者の奮闘ぶり、フィンランド語の成り立ちなどが軽妙な筆致で綴られ、古さを感じさせない。明るく前向きな著者の生き方にも共感が持てる。」

神奈川新聞にも書評が掲載されました。

「イケアの家具、マリメッコのバッグ、映画『かもめ食堂』・・・フィンランドが静かなブームだ。今、50代半ばの著者が若き日、フィンランドのヘルシンキ大に学んだ留学記。 当時、かの国でフィンランド語を学ぶのは、杉田玄白らが蘭学に挑んだのと同じような状況だったとか。そのなかで著者は積極性と明るさで友達を作り、フィンランド文化を吸収する。 笑わせながら、時に興味深い比較文化論を展開。日本でにわかに注目を集めているフィンランドの教育システムの根源には『何事もやり直しが利く』という国民性があると説く。 27年前に好評を得た本の復刊。」——神奈川新聞2008年5月18日
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